アニメモ

子供の頃はもっとアニメを見ていた気がする。

まあ、田舎だったのでチャンネル数も少なく、見るものの選択肢も多くは無かったが、それでもテレビを見ることを許され、かつチャンネルの選択権があった場合はかなりの割合でアニメを見ていたはずだ。

それが何故か急に嫌になり、オタク・サブカルクラスタに属していたからほぼ義務感でのみ見るようになってしまった。そして社会人になってからは遂に殆ど見なくなってしまうわけだが、正直、苦手意識や食わず嫌いの節もあり、最近は再び断続的なトライを続けている。(そして何度も失敗している)

苦手になったきっかけは「ドラえもん」と「青いブリンク」だ。この時の要因は声優だった。ドラえもんの声がドラえもんに聞こえなくなったことと、(半分は演出上の問題もあるが)青いブリンクにおける演技の不自然さが細かい要因なのだが、この辺も今の記憶なので、当時の自分がどう思っていたのかは正確にはわからない。しかし、総じて虚構の裏側が目について集中できなくなった、ということになるだろう。大人になる過程でありがちな、自意識の萌芽に付随して発生する勘違いなのだとある時期には思っていたが、ある程度大人になった後もほぼ同じ感覚を体験したので、単純に「苦手」なのは間違いないだろう。声優に関しては、ジブリアニメのような非声優の起用のほうが安心して見れることや、アニメクラスタで「棒」と呼ばれるような演技のほうが寧ろしっくりくる場合が多いことからも、(特に昭和時代の)声優独特の声質や語り口が苦手なのだろうし、明らかに自分が求める声優の演技が特殊なのだなと、体験的に気づいている。なので一層、苦手意識が強化されてしまうのだが、

しかし、やはりアニメはいいなと思う瞬間は多い。特にそれを感じるのは OP/ED の映像を見た時だ。アニメの顔でもあるOPでは、豊富な作画枚数を使って動きの快感やカットや音ハメの気持ちよさなどを堪能できるように作られており、非常に昂揚する。ED はどちらかというとデザイン的な面白さを重視する場合が多く、サブカル的に感心することが多い。その高ぶった気持ちでチャレンジするものの、本編を見てやはり玉砕するのが毎度のパターンだ。

もっと具体的に見ていこう。アニメが苦手になった後に、例外的に好きで見ていたもの、あるいは苦手意識が無いまま見れたものを上げてみよう。

「ヤダモン」。正直、今見るとやはり苦手意識が出そうだが、ポイントは一回の短さだ。10分番組で、基本的に一週間の平日5回で一つの話になっている構成。この制約により、ある意味で「当時のアニメらしい演出」が希釈されていたのかもしれない。

キングゲイナー」。何故、これが大丈夫だったのか、今でもよくわからない。ガンダムは苦手になってしまったので、監督要因でもない。もちろん、辛いところが無いわけではない。

蟲師」。原作の低血圧ぶりというか、諦観にも似た感じがほぼそのまま再現されている感じで、苦手意識が殆ど出なかった。こういう「百鬼夜行抄」にも通じる女性作家特有(?)のドライな感覚がもっとあれば、自分もアニメがもっとみられるのだろうが、しかしアニメ的な快感という意味では、メディアの特性を活かしているとは思えないので、根本的に解決されない気はする。動く紙芝居になってしまうので。

ガールズ&パンツァー」。正直、辛いところも多いが、無機物が箸休め的に入っていることと、比較的描写がドライというか客観的な感じなので何とか踏みとどまれる、同監督のイカ娘もそこそこ大丈夫だったので、相性の良い演出なのかもしれない。モノがモノだけに、苦手意識が薄れてきたのかもという、後に勘違いであることを思い知らされる幻想を与えてくれた。

けものフレンズ」。ある意味で、何故、自分がアニメが苦手なのかを含めて、現状の自分の嗜好を残酷に映しだしてくれた作品。CGアニメで、従来のアニメ的な絵を作る作風なのだが、そうか、「絵として書かれた時の重さ」が苦手意識の一端か、とかなり絶望的な気分にもなった。重いシーン、つまり重要なシーンは、制作側も思い入れたっぷりに「描く」場合が多い。それを殊更過剰な演出だと感じてしまって、気持ちが引いてしまうわけだ。これはアニメに限った話ではなく、昨今のテレビドラマで使用される過剰な演技や演出でも同じ気分にさせられる。この気持ちを端的に表すのならば「顔が近い、あと声がでかい」。その距離感が適切なのがこの「けものフレンズ」だった。このくらい間が多く、引きが多いと助かるのに。このようにそれなりに嗜好にあった作品を見ていると、自分が気にしている点が見付かる。たとえば「段取り」だ。登場人物が段取りに従って動いているように見えると気が散ってしまう。本作品でも大きく3箇所ほど気になるが、それを長所が十二分に覆い隠しているので問題はない。